「検察なめんなよ」という取り調べの映像から、プレサンス冤罪事件を知った方もいると思います。 あれほど強い言葉を向けた検事は、その後どうなったのか。 無罪になった山岸忍さんには、国から賠償が行われたのか。
山岸さんの無罪は確定していますが、国の賠償責任を問う裁判と、元部下を取り調べた検事の刑事裁判は、2026年10月20日時点でも続いています。 「無罪で決着した事件」と思って調べると、その後にも長い時間があることに気づかされます。
この違いは、少しややこしいです。 ただ、裁判を分けて見ると、山岸さんが何を取り戻し、何を今も求めているのかが見えてきます。
プレサンス冤罪事件で、山岸忍さんはなぜ無罪になったのか
プレサンスコーポレーションの元社長である山岸さんは、学校法人の土地取引に関連する21億円の業務上横領事件で、2019年12月に逮捕・起訴されました。 大阪地裁が無罪を言い渡したのは2021年10月28日です。 検察は控訴せず、無罪が確定しました。 この経緯は、後の国家賠償訴訟の判決文にも前提事実として記されています。
争われたのは、山岸さんが横領に加わっていたかどうかでした。 事件の取引関係をすべて追うと複雑ですが、山岸さんの関与を示す材料として重視されたのが、部下らの供述だったことは押さえておきたい点です。
主任弁護人の中村和洋弁護士による判決の報告では、供述と客観的な証拠との矛盾に加え、取り調べの録音録画が問題の解明につながった経過が説明されています。 部下に強い責任を感じさせる言動が、真実と違う話をする動機を生みかねなかった、という問題です。
取り調べの映像は、怒鳴る場面だけでも衝撃があります。 ただ、本当に怖いのは、その場で作られた話が、別の人を逮捕・起訴する根拠になることです。 話している本人だけの問題では済まない。 供述が証拠として使われる先まで含めて、取り調べを考える必要があります。
「その後」は、三つの裁判に分けると分かりやすい

同じ事件から始まった裁判でも、誰の、何を判断するのかが違います。
| 裁判 | 問われること | 2026年10月20日時点 |
|---|---|---|
| 山岸さんの刑事裁判 | 横領への関与を認められるか | 無罪が確定 |
| 山岸さんの国家賠償訴訟 | 逮捕・起訴などに国の賠償責任があるか | 一審は請求棄却、控訴審へ |
| 田渕大輔検事の刑事裁判 | 元部下への取り調べが犯罪に当たるか | 審理中。検事は無罪を主張 |
国の賠償責任は、一審では認められなかった
山岸さんは2022年3月、違法な捜査によって損害を受けたとして国を訴えました。 ところが、大阪地裁は2025年3月の判決で請求を退けました。
判決文を読むと、取り調べや捜査に問題がなかったと言い切ったわけではありません。 一方で、起訴などを国家賠償法上違法と評価できるかについては、山岸さん側の主張を認めませんでした。 刑事裁判で有罪と認められる証拠があるかという問いと、当時の捜査・起訴の判断が賠償責任を生じさせるほど不合理だったかという問いには、違いがあります。 [参照:大阪地裁の国賠判決、第6・第7]
この区別には理由があります。 結果として無罪になったすべての事件で、捜査した側に自動的に違法性が認められる仕組みではありません。 ただ、それで今回の判断が十分だったかという疑問まで消えるわけではありません。 問題のある取り調べが確認されたとき、そこから得られた供述を信頼した判断を、どこまで厳しく検証するのか。 ここに、この裁判を追う意味があると思います。
2026年9月17日には大阪高裁で控訴審が始まりました。 関西テレビの報道では、国の責任についての判決は2027年1月27日に予定され、責任を認める場合は賠償額の審理が続くとされています。 現時点で「国の責任は最終的に否定された」とも、「賠償が決まった」ともいえません。 [出典:関西テレビ、2026年9月17日]
検事の刑事裁判は、山岸さんの国賠訴訟とは別に進んでいる
元部下への取り調べを担当した田渕大輔検事は、特別公務員暴行陵虐罪に問われています。 これは、取り調べなどの職務に関して相手に暴行や陵虐行為をしたかが問題となる刑事裁判です。
この裁判は、検察が通常の起訴をしたものではなく、裁判所が審判に付すと決める「付審判」の手続きを経ています。 検察官役は裁判所が指定した弁護士が務めます。 経緯は大阪弁護士会による主任弁護人へのインタビューでも説明されています。
2026年10月19日の被告人質問で、田渕検事は引き続き無罪を主張しました。 一部の発言について別の言い方があったという趣旨の説明をしていますが、それを罪を認めたという意味に読み替えることはできません。 刑事責任についての結論は、まだ出ていません。 [出典:MBS、2026年10月19日]
録画が残っていたことと、その場で止められたことは違う
この事件から考えたいのは、取り調べの記録の役割です。 映像が残っていれば、後から発言や態度を確認できます。 本人の記憶と捜査官の説明が食い違ったときにも、検証する材料になります。 それは大きな意味があります。
それでも、録画されている場所で、今回問題となった取り調べは行われました。 記録の存在だけで不適切な行為を防げるとは限らないことも、この事件は示しています。

たとえば職場の会議でも、議事録を残すだけでは強引な決定は止まりません。 後で読める人がいることと、途中で異議を唱えられる人がいることは別です。 もちろん、会議と身柄拘束を伴う取り調べでは、権力の差も被害の大きさも違います。 その違いを踏まえると、取り調べではなおさら、記録を誰が確認し、問題があればどう止めるかまで必要になります。
弁護人の立会い、第三者による点検、問題のある方法で得られた供述の扱い。 どの制度を採るかには、それぞれ議論があります。 私が重視したいのは、後から問題を説明できるだけでなく、不利益が広がる前に修正できる仕組みになっているかという点です。
「録画があるから安心」で思考を止めると、記録する目的が薄れてしまいます。 記録は、見立てを正当化するためにも、見立てを撤回するためにも使えます。 不都合な内容が映ったときに後者を選べるかどうかが、制度の実効性を左右するはずです。
映画『負けへんで』を見るとき、現実の裁判も追っておきたい
山岸さんの著書を原作にした映画『負けへんで』は、2026年11月13日の公開が予定されています。 山岸さんが現在代表を務めるTSUKUYOMIの映画化の告知と、映画公式サイトで案内されています。
ただし、映画は現実の事件を題材にした作品です。 公式のあらすじでは主人公の名前や会社名が変えられており、事件の金額にも実際の裁判との違いがあります。 映画の場面を、そのまま実際の人物の発言や行動として引用するのは避けたいところです。
物語には、複雑な出来事を理解しやすくする力があります。 反面、一本の映画には終わりがあっても、現実の責任追及にはまだ結論が出ていない、というずれもあります。 作品をきっかけに関心を持ったら、その後の裁判がどこまで進んだかを確かめる。 そこまでつながれば、映画を見る経験も、もう少し深いものになると思います。
無罪の後まで、本人が説明し続けなければならないのか
山岸さんについて現在確かめられるのは、無罪が確定したこと、国賠訴訟が続いていること、取り調べを担当した検事が別の刑事裁判で争っていることです。 この三つを一つの「決着」にまとめてしまうと、残っている問題が見えなくなります。
特に引っかかるのは、誤りを正された側の組織よりも、被害を受けた本人が、その理由を社会に説明する役割を背負い続ける構図です。 裁判を起こし、資料を集め、会見で話す。 そうした活動がなければ、取り調べの問題が十分に知られないのだとすれば、被害の回復にも本人の体力や資力が強く影響してしまいます。
この事件を「ひどい検事がいた」という感想だけで終わらせたくはありません。 一人の振る舞いを検証すると同時に、その供述を使い、その捜査を進めた過程全体を確認する必要があります。 責任の所在を具体的にすることと、組織として再発を防ぐことは、どちらも欠かせません。
無罪が確定した後、本人が新しい生活に時間を使えるようになったか。 事件の「その後」を追うときには、裁判の勝敗と一緒に、その問いも持っていたいです。
森下祐丞さんの事件についても、無罪になった後に残る責任と回復の問題を考えています。 同じ冤罪という言葉でまとめず、それぞれの事件で何が認められ、何が残っているかを見ることが大切だと感じます。
事実関係の確認日:2026年10月20日。

